創立者 村田謙造(1887−1975)「有算者勝」
kenzo 「簿記は、すべての国民が、常識として、きちんと学んでおくべきである」という信念のもと、23歳で「銀行会社事務員養成所」(のちの村田簿記学校)を設立。日本の「近代化」に教育面で大きく寄与し、以後、商業教育界の牽引車としての役割を果たしてきた。また、昭和の初めにあって、日本経済発展のために女性の社会進出の重要性を説き、昭和6年には、本校の母体となる「村田女子計理学校」(現 村田女子高等学校)を設立した。また、算盤(ソロバン)の革命とまで言われた「村田式計算器」を考案したほか、簿記関係の著作9冊を発表し脚光を浴びた。全国経理学校協会理事長をはじめとする要職を歴任し、昭和40年には勲三等瑞宝章を受章。その「社会に貢献できる人材の育成」の精神は現在の村田学園のゆるぎない根幹を成している。座右の銘は「有算者勝」(算有るは勝る)。
明治20年山口県下関市生まれ。下関高等学校、大阪高等商業学校2年終了。昭和50年死去。享年88。
第2代理事長 村田照子(1926−2006) 「あせらずに、あきらめないで、一歩ずつ」
2 父謙造先生のもと、女子高校で数学教師として教鞭を振るい、昭和50年、理事長、校長の職に就いてからは、簿記学校経営の傍ら、女子教育に力を注ぐ。都知事から「学校教育功労者」として、また文部大臣からは「産業教育功労者」として表彰を受け、私学振興への功により勲四等宝冠章を授章。全国商業高等学校長協会副理事長や東京都専修学校各種学校協会会長などを歴任した。教育の現場では「率先垂範」を信条とし、常に生徒や保護者と向き合う姿勢を崩さなかった。「あせらずに、あきらめないで、一歩ずつ」という言葉とともに、「校長講話」の授業で教壇に立ち続け、また晩年まで北軽井沢高原教室で生徒と寝食を共にして、一人ひとりへの細やかで愛情あふれる教育を貫き通した。
大正15年山口県下関市生まれ。東京女子大学数学科を経て明治大学商学部を卒業。平成18年死去。享年80。

 

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